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大阪地方裁判所 昭和30年(わ)393号 判決

主文

被告人等はいずれも無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は被告人等はいずれも法定の除外事由がないのに、第一、被告人浜岡良海は(一)、昭和二十八年十二月下旬頃東京都目黒区下目黒一丁目百十五番地菊富士ホテルにおいて被告人北畠憲二に対し麻薬である塩酸ジアスチルモルヒネ約七十五瓦を譲り渡し、(右の訴因を被告人浜岡は前記日時場所において北畠憲二及び吉村金次郎の斡旋により白川こと白楽温に対し前記麻薬七十五瓦を譲渡しと予備的に追加)(二)、神戸市生田区省線三宮駅附近において被告人北畠に対し(1)、昭和二十九年三月中旬頃、前同種の麻薬約五十瓦を(2)、同年四月中旬頃右麻薬約六十瓦を(3)、同年五月二日頃右麻薬約二百五十瓦をそれぞれ譲り渡し、第二、被告人北畠憲二は(一)、前記第一の(一)記載の日時場所において被告人浜岡から同記載の麻薬を譲り受け(二)、右同日頃右同所において吉村金次郎及び白楽温の両名に対し右麻薬を譲り渡し、(右第二の(一)、(二)の訴因を被告人北畠は前記第一の(一)記載の日時場所において、浜岡良海が白楽温に対し同記載の麻薬約七十五瓦を譲り渡すに際し、その情を知り乍ら計量したり俗に水試験と称する麻薬鑑別試験をしたり等して売買の斡旋をなし、以て浜岡良海の前記第一の(一)の犯行を容易ならしめて之を幇助しと予備的に追加)(三)、前記第一の(二)記載の如く神戸市生田区省線三宮駅附近において被告人浜岡から(1)、昭和二十九年三月中旬頃右麻薬約五十瓦を(2)、同年四月中旬頃同麻薬約六十瓦を(3)、同年五月二日同麻薬約二百五十瓦をそれぞれ譲り受け(四)、神戸市葺合区雲井通六丁目国際マーケツト内三期五十一号被告人朴方において同人に対し(1)、昭和二十九年三月中旬頃前同種の麻薬約五十瓦を(2)、同年四月中旬頃同麻薬約六十瓦を(3)、同年五月二日頃同麻薬約二百五十瓦をそれぞれ譲り渡し、第三、被告人朴仁沢は前記第二の(四)記載の如くその記載の場所において被告人北畠から(一)、昭和二十九年三月中旬頃右麻薬約五十瓦を(二)、同年四月中旬頃同麻薬約六十瓦を(三)、同年五月二日頃同麻薬約二百五十瓦をそれぞれ譲り受け、第四、被告人吉村金次郎は白川こと白楽温と共謀の上昭和二十八年十二月下旬頃右第一の(一)記載の場所において北畠憲二より麻薬である塩酸ジアセチルモルヒネ七十五瓦を譲り受け(右の訴因を被告人吉村は前記日時場所において浜岡が白川こと白楽温に対し前記麻薬七十五瓦を譲り渡すに際しその情を知り乍ら右白楽温を浜岡に紹介する等売買の斡旋をなし、以つて浜岡の前記第一の(一)の犯行を容易ならしめて之を幇助したものであると予備的に追加)というにあり、そして

一、被告人浜岡良海の第八回公判期日以降における当公廷の供述(但し、麻薬の試験に関する部分を除く)

一、被告人浜岡良海の検察官に対する各供述調書(但し、昭和三十年二月二十五日附の分を除く爾余の六通)

一、被告人北畠憲二の第八回公判期日以降における当公廷における供述(但し、判示麻薬五十瓦、並びに六十瓦の取引をしなかつたと述べている部分及び本件麻薬の試験をしなかつたと述べている部分は措信しない)

一、被告人北畠憲二の検察官に対する各供述調書(四通)

一、第三回公判調書中証人北畠憲二の供述記載(右記載は第八回公判期日において被告人北畠憲二に対する関係においても採用、但し、本件麻薬の試験をしなかつたとの供述部分を除く)

一、被告人吉村金次郎の第八回公判期日以降における当公廷の供述

一、被告人吉村金次郎の検察官に対する各供述調書(五通)

一、第三回公判調書中証人吉村金次郎の供述記載(右記載は第八回公判期日において被告人吉村に対する関係においても採用)

一、第一回公判調書中被告人朴仁沢の公訴事実中第三の(二)はその通り相違なき旨の供述記載並びに本件起訴状の公訴事実第三の(二)に判示第三の(二)に照応する記載のある事実

一、被告人朴仁沢の当公廷(第九回公判期日以降)における北畠が私方に麻薬の売込に二、三回来たことがある旨の供述

一、第六回公判調書中証人尹永汝の被告人朴仁沢は私の夫であるが北畠を去年(昭和二十九年)の四月頃家の前で二、三回見たので顔見知りになり、北畠がペーを買つて呉れるところがないかと言つて風呂敷包を持つて来たことがある旨の供述を綜合すると公訴事実記載の物件がいずれも塩酸ジアセチルモルヒネであるという点を除き被告人浜岡の前記第一の(一)の予備的訴因、第一の(二)の訴因全部、被告人北畠の前記第二の(一)(二)の予備的訴因、第二の(三)の訴因全部、第二の(四)の(1)、(2)の訴因、被告人朴の前記第三の(一)、(二)の訴因、被告人吉村の前記第四の予備的訴因として掲げられた事実及び右各訴因に示めされた本件物件の譲り渡し並に譲り受けに際しては、その該当被告人等において本件物件はいずれも塩酸ジアセチルモルヒネであると信じていた事実を認めるに十分である。然しながら如何に被告人等が右の確信の下に取引をしたとしても、それだけでは直ちに本件物件が前記の麻薬であつたと断定できない。ある物件が麻薬取締法所定の麻薬なりや否やの判断は主として科学上(なかんずく物理学上よりも化学上)の問題であるから原則として専門家の鑑定によるべきものであるのに拘らず、本件においては犯行に供せられたと目すべき現物もなければ、之を科学的に鑑定した書証も存在しない。(尤も検察官は被告人朴が被告人北畠より購入した本件麻薬の一部を九州に転売し、之が別件として同地で検挙され、その際押収された物件が鑑定の結果、塩酸ジアセチルモルヒネであつたと主張し、右事件の証拠を示すけれども、九州において押収された物件が果してその主張の如く本件物件の一部であるかどうかという点についてはその証明が十分でない。即ち検察官主張の右別件の訴訟記録(但し本件審理に提出されたもの)及び本件記録中被告人朴の麻薬取締官に対する供述調書並びに同被告人の当公廷における供述によれば右別件の麻薬はある女性より購入したものとなつており、ただ僅かに被告人朴の検察官に対する昭和三十年二月二十三日附供述調書に検察官の右の主張に添うが如き供述記載があるのみである。然るに右調書は本件の起訴された昭和三十年二月十四日以後のものであり、その取調が被告人朴の求めによつたものであることが認められるが、その内容並びに第九回公判期日以後における此の点に関する被告人朴の供述等からして如何にも起訴後のこと故、取調官に右の点につき符節を合そうとしたために出来たものではないかとの疑があり到底心証を惹かぬのであるから検察官の右の主張は採用しない。)だからと言つて、化学的鑑定がなければ常に麻薬なりと断定してはいけないという法則がある訳ではない。従つて本件物件の判定上被告人等が麻薬なりと確信するに至つた事情について、なお考慮すべき余地が存在するものと言わねばならない。そして本件物件の性質上、右鑑定方法以外の判断と雖もそこに合理性即ち実験則に照し高度の信憑性を客観的に保有するものでなければならないことは当然である。そこで被告人等が本件物件が塩酸ジアセチルモルヒネなりと確信した事情について考えて見るに前記列挙の各証拠を綜合するとその事情として(イ)本件物件はいずれも被告人浜岡が昭和二十八年十二月下旬頃タイ国大使館付武官ヨーク大尉より塩酸ジアセチルモルヒネなりとして買受けた一ポンドの一部であること、(ロ)被告人北畠が昭和二十八年十二月下旬東京において公訴事実第一の(一)の譲渡行為を斡旋するに際し被告人浜岡の購入して来た白色の粉末一ポンドの内極めて小量をコツプに入れて所謂水試験をした結果麻薬に間違いないと判定して之を被告人浜岡及び吉村に告げたこと。(ハ)被告人北畠が本件物件を被告人朴に売渡す際、被告人朴がその品質を確かめるため被告人北畠の面前においてその一部を煙草の銀紙の上に乗せ、之を下からマツチで焼く所謂焼試験をした上両名において良質の麻薬であると判定したこと。(ニ)本件物件の買主からそれが塩酸ジアセチルモルヒネでなかつたとの苦情を受けたことがなかつたこと。(但し、被告人朴は犯行を否認しているから此の点に限り不明である)等を認め得る。仍て右の事実から判断して本件物件が麻薬であると断定し得るかどうかについて更に審究する。

前掲証拠によれば本件物件がタイ国大使館の名とその信用の下に売られたものではなく、大使館付一武官がある政治的陰謀の資金を獲得する目的で売られたものであつてその製造元又は入手経路について確証がないからヨーク大尉から出たという一事を以つて本件物件が麻薬であると断定する重要な資料となすことが出来ない。次に本件物件について、被告人北畠が水試験及び焼試験の結果、又被告人朴が焼試験の結果いずれも本件物件の一部が麻薬であると判定した事実について考えるに、鑑定人前田勇、同中川雄三の各鑑定書によるとある物件は塩酸ジアセチルモルヒネなりや否やは化学試験によらねば確定することが出来ないものであり、所謂水試験、焼試験だけでは之と同じ結果状態を示す物質がないといえない。(鑑定人中川雄三の鑑定書によれば類似せる薬品が或る程度存在することは確実であるという)以上右の試験は予備試験の方法としては首肯出来るが、所謂麻薬密売者の玄人が余程何回も麻薬を取扱つて試験をした経験を積んだ人でない限りその判断に相当の価値を認められないことが認められる。然らば被告人北畠や朴が相当高度の麻薬判定能力を有するかというに、前掲被告人北畠の当公廷の供述及び検察官に対する供述調書並に前科調書によれば同被告人は医師でもなければ薬剤師でもない。ただ高等小学校を卒業後間もなく大阪市東区道修町薬局問屋の店員となり、大正十一年には薬種商の免許を受け同十三年独立して薬種商を営み、昭和十八年廃業する迄三十余年の長年月に亘つて薬品業務に従事し来つたものであり更に昭和二十四年より右道修町において薬品ブローカーをして犯行時に至つたものであり、ことに昭和十三年頃から同十五年頃までの間免許を受けて麻薬取扱業者となり之を売買していたものであり、その間麻薬取締法違反罪で懲役三月罰金三百円に処せられ、且つ昭和十年頃麻薬の水試験及び焼試験の方法を覚えたものであることが認められるが、右の証拠によつて明かなように被告人北畠が薬種商をしていた当時は麻薬の製造及び販売が或る程度公認せられ、同被告人が取扱つた麻薬は製造を許可された製薬会社の封緘した所謂メイカー品を取扱つていたのであつて、之が取引に当つて特に試験をする必要がなく前記前科も麻薬取扱の有資格当時取扱つた麻薬が無資格者に行つた点で処罰されたに過ぎないこと、及び昭和二十四年以降は主として和漢薬のブローカーをしているのであつてその間麻薬を水試験又は焼試験によつて売買して来た所謂麻薬密売者の玄人と認めるに足る証拠はない。又昭和三十年二月三日附検察官に対する同被告人の供述調書によると同被告人は検察官の面前において麻薬判定能力を示しているが、外観試験においてはにせ物をもヘロインと思うと述べ、ただ焼試験においてにせ物は溶解せず、本物が溶解したことから本物をヘロインと思うと述べているに止まり、これだけでは同被告人の麻薬判定能力が高度のものであると認める訳にはいかない。次に被告人朴も前叙の如く被告人北畠から本件物件の一部を買受けるに当り焼試験をしている外検察官佐藤貫一に対する供述調書謄本及び朴仁沢外二名に対する神戸地方裁判所の判決書謄本によれば、同被告人は昭和二十九年一月十二日に塩酸ジアセチルモルヒネ約五〇二、二瓦を他人に譲渡せんとしたり、同年五月十九日と二十九日の二回に同麻薬合計約二十九瓦を金在石に譲渡したことにより懲役二年に処せられたこと及び右金在石に譲渡するに当り焼試験をした事実を認め得るが、夫れだけでは直ちに被告人朴が相当高度の麻薬判定能力を有するものと断定するになお幾多の疑問がある。以上要約すると被告人北畠、同朴は焼試験又は水試験によつて塩酸ジアセチルモルヒネと異なる結果を見た場合においてはそれが塩酸ジアセチルモルヒネでないという判定をすることが出来るが、更に進んで塩酸ジアセチルモルヒネと同じ結果を見た場合においても塩酸ジアセチルモルヒネとそれ以外のものとの識別能力があるかという点については右の各証拠によつても到底之を認めることが出来ないのである。そうだとすると右(ロ)及び(ハ)の事実からは本件物件が前記鑑定書によつても明かな如く塩酸ジアセチルモルヒネではないかとの疑は濃厚であるが、これだけでは右の麻薬であると断定出来なろ。次に本件物件の買主から苦情が出なかつたとの点であるが、普通一般の商品ならばその品質成分に間違いある場合においては、売主に対し買主側より苦情の出ることは通常考えられることであるから買主側より苦情の出なかつたことは一応その取引商品に間違いがなかつたことを認め得る一つの証左となることは当然である。然し乍ら塩酸ジアセチルモルヒネはその取引は勿論所持、使用をも厳罰を以て禁止されているからその取引は極めて秘密裡に行われ末端の取引においては売主の名や住所をも明かさないでなされている場合のあることはこの種事犯の審理において屡々経験するところであり、特に前叙の如く焼試験又は水試験の上では塩酸ジアセチルモルヒネに対する試験と同じ結果を来たすような物件については、之を使用しない限り買主においてその品質成分につき疑を抱く場合が少く、(此の点につき被告人朴が本件物件を煙草に入れて喫つた時に酔つたようになつた旨の起訴後の検事調書の記載は前記と同一の理由により採用しない。)之に疑を抱く者はただ小分けして転売された末端の使用者に限られ、而も之等末端の使用者はその売主を発見することが困難なるのみならず、よし発見しても自己の麻薬使用者たることが官憲に発覚されることを恐れて苦情を申立てることを差控える場合もあると考えられるから、その苦情が常に大口の売主たる被告人等の耳に入るとは解し得ない。そうだとすると右の事実も亦本件物件が塩酸ジアセチルモルヒネであるという証左となり得ると考えることに多大の疑問がある。そして右の各事実を一つ一つ切り離すことなく(イ)乃至(ニ)の事実を綜合して考えて見ても他に有力な証拠のない本件においては公訴事実記載の本件物件が塩酸ジアセチルモルヒネ又はその他の麻薬であると断定するには、なおいくばくの合理的疑を抱かざるを得ないのである。

次に公訴事実中被告人北畠の第二の(四)の(3)及び被告人朴の第三の(三)、即ち昭和二十九年五月二日の被告人北畠と同朴間における麻薬約二百五十瓦の取引に関する事実については、その物件は前記の理由により麻薬なりと断定し難い許りではなく、後記の如くその取引行為そのものに関しても幾多の疑問がある。そして既に右物件が麻薬であるという証明がない限り此の点の説明は不必要とも思われるが、被告人北畠、同朴及び証人尹永汝の当公廷の各供述並に第四回公判調書中証人金山清の供述記載によれば、被告人北畠が塩酸ジアセチルモルヒネと称する物件約二百五十瓦を被告人朴方に持参したところ同人が同家二階で病臥中であつた為め同人の意を受けた妻尹永汝が買手のところへ案内するとて該物件を持ち北畠を伴つて戸外に出たところ、間もなく張込中の金山清巡査に誰何され同女はその場より神戸葺合警察署滝道巡査派出所に連行され直ちに同巡査の手により該物件につき焼試験及び水試験が行われた結果麻薬でないことが判明した為め、同巡査は同女に右物件の持帰り方を命じたが、同女は後から取りに来ると称してその侭帰宅し、その後も一再ならず同巡査より右物件の持帰り方を求められたが同女は遂に取りに行かなかつたところ情を知らぬ他の巡査が之を廃棄してしまつた事実が認められるので、若し右物件が北畠が昭和二十九年五月二日浜岡より買受けた本件物件そのものである場合においては、本件物件が麻薬でないことの有力な証拠となり得る訳であるから此の点に関して簡単に説明することにした。

被告人浜岡、同北畠の当公廷における供述及び京阪電気鉄道株式会社の上西検察官宛の回答書によると被告人浜岡が本件物件約二百五十瓦を被告人北畠に譲渡した日時は昭和二十九年五月二日であつたことは疑の余地はない。この点に関し、被告人北畠、同朴は尹永汝が金山巡査に連行されたのは右と同じ日であると主張し、検察官は右連行の事実は五月二日以前のことであつて本件取引とは全く関係のないことであると主張する。そして、証人尹永汝、被告人北畠、同朴の当公廷における各供述、金山証人の前記供述記載、証人金順子の当公廷の供述、証人山崎清麿の当裁判所の尋問調書及び警察の勧務日誌を綜合して判断しても右の日時が昭和二十九年三、四月頃であつたとも又同年五月二日であつたとも考えられ右の証拠のみでは未だそのいずれであつたかを確定することが出来ない。若し前者なりとすれば全く問題のないことであるが、五月二日と考える余地のある以上、之を前提として更に考えを進めなければならない。

被告人浜岡は当公廷において北畠に渡した二百五十瓦の包装は五十瓦宛硫酸紙の袋に入れた上右五袋を電気器具を入れていたボール箱に入れその上を新聞紙で包み紐でくくつて北畠に渡したと供述し、被告人北畠は当公廷において浜岡より受取つた麻薬はその侭朴の妻(尹永汝)に渡したところ同女は包を解いて之を脱脂綿で包みこれを風呂敷に包んで戸外に出たと供述し、証人尹永汝は当公廷において北畠より受取つた侭何等包装を替えないでその侭持出したと証言し、前記金山証人は、尹永汝の持つていた風呂敷包を開けて見ると中に白い紙袋入りが五袋位ありその袋の紙は普通の駄菓子を包む様な紙で白く一寸つるつるした西洋紙でそれを脱脂綿で巻いてあつた旨の証言をしているのであるが、被告人浜岡の右供述及び証人金山清の証言は相当信を措き得るに反し、被告人北理の右の供述及び尹永汝の右の証言には同人等の当日における行動、取引の場所、並びに被告人北畠、同朴の当公廷における供述経過その他諸般の事情を考慮すると多大の疑点があり、寧ろ被告人北畠において浜岡に対する代金の支払を免れる為めか或いは捜査官の目をくらます為め等の目的の下にすり替品を朴方に持参し尹永汝等の協力を得て仕組んだ一種の芝居(仮装行為)であつたか、又は被告人北畠と尹永汝が相談の上尹永汝がにせ物とすり替えて行つた仮装行為ではないかとの疑は濃厚である。このことは、その後金山巡査に調べられた物件が麻薬でないことが判明した後において被告人北畠、同朴が浜岡の請求により各金五万円宛合計十万円を弁償し、更に被告人北畠は残代金二十五万円につき所謂出世証文を差入れている事実に徴しても首肯することが出来る。そうだとすると被告人北畠が浜岡より受取つた本件物件約二百五十瓦を被告人朴に譲渡した事実を確認することが出来ない。

以上説明の如く当裁判所は本件公訴事実全部についてその犯罪の証明が十分でないとの結論に到達した結果刑事訴訟法第三百三十六条により被告人全員に対し、無罪の言渡をする。

(裁判長裁判官 笠松義資 裁判官 吉益清 今中道信)

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